本解説にあたり、安祥寺住職、小原泰俊様のご協力を戴きました。
【安祥寺・由来】
開山時の寺名は「安福寺」で、鎌倉時代末期の正和年間(1312〜1317年)、玉峰光崇ぎょくほうこうすうが
中興して臨済宗の寺とした。
安房・鉾田の地域は、安房氏、鹿島氏、江戸氏、烟田氏、武田氏の戦乱時代で、その最中、天正19年(1591年)
佐竹義宣が南進し、安祥寺が佐竹軍の本陣となり、ここから鹿島氏の鉾田域、烟田域を攻撃している。
やがて、安房・鉾田は佐竹氏の家老である、東義久の領地となる。
安房あんはう 530石4斗、 鉾田ほこ田 455石5斗
寺紋はこの時の由来を物語り、佐竹氏の「赤い月丸印のある五本骨軍扇」紋である
【五輪塔】ごりんとう
中世に一般的な墓石(供養塔)である。
下から方形、円形、三角形、半円形、宝珠形の五つの石を積み上げ、塔の形に仕上げたものである。
それぞれの石は、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪といい、宇宙の物質構成の五大要素を象徴しており、
地、水、火、風、空を象徴している。
これらの五輪塔は、鉾田城主関係の墓石と推定されている。
【韋駄天】いだてん
韋将軍ともいい、四天王(持国天王・増長天王・広目天王・多聞天王)の中の増長天王の従者、八将軍のひとりで、
お寺の伽藍の守護を誓願としておられる神である。
お寺では、庫裡の玄関に安置し、火盗消除を祈って毎朝読経する。
足の速いこと天部の中の第一だといわれ、身に甲冑をつけ、合掌して立っておられる。
その上、合掌した拇と人指し指との間に、宝剣または宝棒を横にたえ挿んでおられる。
ここ安祥寺所蔵の韋駄天は、かなり大きく、珍しいとのことである。
【延命地蔵尊・地蔵菩薩】えんめいじぞうそん・じぞうぼさつ
人間釈迦牟尼仏のご入寂から、弥勒仏の出現まで、つまり地上に仏の現れていらせられないその期間、地上に
現住して、あらゆる人々を救護してくださる菩薩である。
尊像は頭髪を剃って、袈裟をかけ、左手に宝珠を、右手に錫杖をもっておられる。
錫杖でなく施無畏の印をむすんでおられることもあり、立像も坐像も半跏像もあり、頭に頭巾をかぶっておられること
もある。
延命地蔵菩薩といい、人間の寿命を特に守護してくださることを讃仰いたすことがある。
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